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概要

YABO2015_02

譲り受けたという着物生地で作り上げた作品デザインや配色にも感心させられる小さな着物が並び、思わず笑みがこぼれる可愛らしい作品鮮やかな赤がひときわ目を引く、着物を中央に配したタペストリーYABO“書体をチェーンステッチの技法で刺繍していく写経ていたとき、たまたま主人と娘と一緒に三溪園を訪考え方は一般的な野望のイメージとは程遠いが、こ”なのだと感じた。“あと、試行錯誤して篆書体(てんしょたい)というなったのも、弟が突然亡くなって孤独感にとらわれしてきただけ」と話す遠藤さん。確かにその生き方、の溢れる思”いこそ、遠藤さんの原動力であり自身を「普通の主婦」というが「最初の写経作品のまた、「この場所で作品展をさせていただくように「野望なんて何もないんです。ただ自分なりに努力てくれる人たち、家族、そして新たな作品作りへ人との繋がりみ、豊かにしてきたのだということがよくわかる。ん。お話をうかがっていて、両親やいま自分を支えにまっすぐ努力する姿勢が多くの人との繋がりを生ど、伝えたいことはいっぱいあります」と遠藤さだと気付かされた。よ」と話す遠藤さんはあくまで自然体だが、この常に、子どもたちにも人との出会いのすばらしさなべてが込められたものが遠藤さんの作品の魅力なの与えられるだけで、行き当たりばったりなんですますし、私自身、両親から多くを教えられたようれを提供した人への配慮までが感じられ、それらすたいと思って何かしたわけではなくて、よい機会をとおして恩に報いたい、感謝を伝えたいと思っていいですから」という言葉には、提供された生地、その活躍のフィールドはとても幅広い。「私がそうし多くの鑑賞者で賑わう本堂。丁寧な仕事ぶりに感嘆の声があがっていたた、「お世話になっている人たちには作品や活動をせっかくくださった方の思いや繋がりも大切にした経作品の展示を依頼されたこともあります」と、そとが大切だと伝えたいです」と語ってくれた。ま“たいと考えるのは自然なことかなと思っています。た、耳なし芳一を上演する琵琶の演奏会の会場に写伝えたい思いきだと。そのときそのときのいま”を生きるこ“物などであれば、やはりそれらをひとつの作品にし如来変相図の復元で繍佛制作に関わっています。まずあせらず、いま”しなければならぬことをすべまれるのはもちろんですが、お母さまと娘さんの着の縁日に作品を展示する機会があったほか、阿弥陀いるなと感じています」と語ってくれた。大限の努力をしてきました。若い人たちも、腐らまとめて使うことで色や雰囲気に統一感、調和が生体の辞書に巡り合えただけでなく、薬師寺東京別院す」と表現し、「私はすばらしい出会いに恵まれててだけをしていた時期もありましたが、いつも最ん。「その方が気に入って集められたものですから、は制作のとき常に手元に置いている信頼できる篆書が聞こえるように、道が開けてきたような気がしまをうかがうと「刺繍を始める前、親の看病や子育とつの作品にすることも多いです」と話す遠藤さべるなかでさまざまな方との出会いに恵まれ、今でろげば飛び石が置かれ、のどが渇けばせせらぎの音という遠藤さんに、これから伝えていきたいこと物などを使う場合、人の方が集められたものをひ1の形にたどり着きました。正しい篆書体について調「川岸にたたずめば橋が掛けられ、ぬかるみにたじ「生涯やり続けたいと思うものがあって幸せです」を提供してもらっていることに触れ「いただいた着す」と、尽きることのない制作意欲を見せていた。また、作品のために多くの方々から着物などの生地品の制作はこれからも続けていきたいと思っていませてくれた。すし、永久不変で揺るぎないものとして、写経作この作品を生んだ不思議な巡り合わせについて聞かいるといい、「作品のアイディアはいろいろありまくれる優しい親心を感じたのを覚えています」と、た。ノートには常にたくさんの構想が書き込まれてでした。最期の瞬間まで子の願いを叶えようとしてそういう意味では野望の塊ね」と笑顔を見せてくれ激しく雪が降りました。それが奇しくも私の誕生日りたい作品、やりたいことはたくさんあるんです。んでした。それなのに、父との別れの日、横須賀に篆書体(てんしょたい)を取り入れてから、活躍の幅が広がったとのことした多くの人との出会いや不思議な巡り合わせをと感謝の思いを繰り返し口にする遠藤さんは、こうの方に助けられ、支えられていると感じています」字を書いてくださったり、本当に不思議なほど多くの方が手伝ってくださったり、書の先生が看板の文うに感じます」。今回の作品展についても「ご近所のきっかけなんです。見えない糸に導かれているよれ、百周年の記念行事を知って参加したことが最初れからの創作活動についてうかがうと「まだまだ作きました。その光景は私の目や耳に残り、父が他界て育ちました。父もまた、人一倍努力をする人でしてくれた。も吹雪くということはなかなか見ることがありませに見える父の口からお経が漏れるのを、幾たびも聞「私と弟はそんな父から常に『努力せよ』と言われ思っています」と、妥協なく取り組む姿勢を明かしいたのですが、私の暮らす横須賀では、雪は積ってなくなりました。ですが椅子に座って寝ているよう父はそのことを誇りにしていました」と遠藤さん。べます。努力はするのではなく、やりきるものだと聞かされて以来、そんな景色を見てみたいと思ってなってから、家族への配慮もあってか、お経を唱えなった人物です。父方の祖母はその家の生まれで、通ったり、いろいろな人に訊いたりして徹底的に調「私が生まれた日は激しく雪の降る日だったと母に若心経を唱えていたのですが、一緒に暮らすように変な努力をして盲人の役職の最高位である検校とと思いますが、どんなことでもやるときは図書館にという帯に舞い散る雪の結晶を刺繍した作品を挙げかけです。独り住まいのとき、父は毎朝、仏前に般代、埼玉県に生まれた盲目の国学者なのですが、大うちに使え』と言われて育ったことも影響しているましたから」。さらにもう一点、母親のものだった許なくなった父と同居するようになったことがきっさらに「塙保己一という人をご存知ですか?江戸時も少なくないという。「両親から『頭は生きている何も分からないまま、両親を思いながら夢中で作り「母が他界してからしばらくして、独り暮らしが心点だったのかもしれません」と振り返ってくれた。てみて違うと思えば、糸をほどいて刺繍し直すことめて和布に刺繍した楷書の写経作品ですね。本当にんは、最初の作品が生まれたきっかけをこう語る。思ったのは、母の嬉しそうな顔を見てきたことが原れない気持ちが湧き上がってくるんです」と。やっとくに思い入れがあるものをうかがうと「やはり初それ以前はまったくの専業主婦だったという遠藤さかけは父でしたが、それをこうして刺繍で残そうとい制作をしていることもあります。やらずにはいら「作品ひとつひとつに思いがありすぎて」と話し、遠藤さんが初めて刺繍作品を手がけたのは十年前。遠藤さん。「最初の写経作品を制作した直接のきっきなど、集中すると、多いときは一日十五時間くら最初に手がけた刺繍作品である楷書による写経てきたことは、私の糧になっていると思います」と創作の様子についてうかがうと「作品展が近いとた。そんな母の小さな成功体験を積み重ねる姿を見創作についてを作っては喜んでいる母の姿を見るのが好きでしまた、「母は手仕事が好きでした。私は小さなものら、温かく強い両親への思いを語ってくれた。刺繍による写経です」ぎたいと思っています」と自身のルーツに触れながご両親への思いがこもった雪の結晶を施した作品中で仕上げたのが、最初の刺繍作品でもある楷書のませんが、常に最大限努力するという精神は受け継作品への思い原点は両親への思いしたあと、両親へのし尽くせぬ思いを針に託して夢た。私の中の保己一の血は薄くなっているかもしれを併せ持つ遠藤さんのしなやかさが感じられる。ろのない様子からは、制作への真摯な姿勢と柔軟性んですよ」と話す。その謙虚でまるで気負ったとことを聞いちゃうんです。そういう変な素直さがある2015年5月、爽やかな青空が広がった横浜の三溪園で“和布に親しむ-第四回遠藤史子作品展-”が開かれた。会場である旧燈明寺本堂にはひっきりなしに鑑賞者が訪れる。展示作品は着物などの和布に般若心経を刺繍した写経作品をはじめ、気の遠くなるような細かな針さばきで仕上げられたタペストリーなど。その中心で、訪れる人たちに、一点一点丁寧に作品の説明をするのが、すべての作品を手がけた遠藤史子さんだ。「私は普通の主婦ですから」と気さくに話す遠藤さんだが、作品展は今年で第四回を迎える。そんな遠藤さんのお話をうかがうと、作品と遠藤さん自身の魅力を生み出すたくさんの“思い”が見えてきた。なってしまうと思うので、助言があればすぐ言うこYABOてあまり自己流を強くしすぎると、独りよがりに+JAPANESE SPIRITインタビュー・文アドヤン(井上麻里奈・橋本岳子)撮影:大ヶ谷有紀子んて……」という一方で「人真似でないからといっも自分ではまったく分かりませんし、人に教えるな行錯誤でやってきたことなので、作品のレベルなど一切行っていない。「誰に教わったわけでもなく試を誰かに教えたり、教室を開いたりといった活動はそんな遠藤さんは「すべて自己流だから」と、刺繍76YABO n 2YABO n 2